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敗者に寛容な社会とは

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ローマ人の物語を読んでいて、敗北した将軍を責任を取らせて処刑する周辺の敵国と、破れた執政官を処分せず結果雪辱を果すローマと言う対比が度々見られる。

 

また、打ち破った部族もローマ市民として同化していく様も帝国拡大の物語に度々起こる。

 

生き恥を晒さない文化は日本だけではなく、各国にあるようだが、ローマの様なやり方は現代でもとても珍しいと言える。

 

ローマ人が死を恐れるかと言えば、どちらかと言うとそうで無い気質の人々だし、恥を知れないかと言うと、真逆の名誉を物凄く重んじる気質だ。

 

それ故にローマ人的には生き恥を晒す方が、死ぬことよりも重い仕打ちと考えており、敗残した時点で、ひどく誇りを損ねる罰を受けている。故にそれ以下の罰(死ぬこと)は無意味で、それよりその経験を生かすべきと言う合理性だったのか。

 

一方、死を持って責任を取らされた日本は、生き恥を重い仕打ちでは無いと思ってたので、死でないと、けりが付かなかったのかと思うのは穿ち過ぎだろうか。(まぁ厚顔無恥に生きていかないように、強制してたとしたら、悲しい話だが。)

 

ちなみに「失敗の本質」で語られる、官僚化してしまった旧軍の悪弊は、悪い意味での(内輪の)失敗に寛容な組織の悲劇でした。

 

再挑戦可能と責任の所在。

組織論って永遠の命題ですね。


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