アレクサンダー大王の幸運はその軍略の後継者と剣を交える前に世を去ったことでした。
自らをアレキサンダー大王に匹敵すると自負するハンニバルはそうはなりません。
イタリアの靴先に封じ込められつつも今だ健在のハンニバルを叩くため、闘いの舞台はアフリカに移ります。
カルタゴ領内でのローマの勝利により、ハンニバルはアフリカによびもどされ、ついにハンニバルとスキピオの直接の対決が始まりました。
ザマの会戦は、カンネの闘いを攻守を逆転させた様相になりました。
騎兵を確保できず歩兵中心のカルタゴ軍に対する、騎兵による機動力を駆使するローマ軍。
スキピオは、ハンニバルにより、ローマ軍の大量の血を代価として教えられた、機動力による包囲殲滅戦を、完璧な形で再現します。
ローマ軍の完勝でした。
こうして第二次ポエニ戦争はローマの勝利で幕をとじます。
ローマ殲滅を志し戦争を始めたハンニバルは皮肉にもローマの強大化を進めてしまったのです。
そして、スキピオもハンニバルも静かに退場した後、最強の軍隊を持ってしまったローマはマケドニア、カルタゴを滅ぼし、東西地中海の制海権を手中に収め、地中海をマーレノストロ(我が海)化した帝国主義国家へと変貌していきます。